2024年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のトラックバック

« 堺勤美展.2019~Part2 | トップページ | セブでジンベエザメと遊んできます。 »

2019年6月30日 (日)

「医師は40歳までに「病院」を辞めなさい」

~超高齢社会に必要な町医者のススメ~という副題の付いた嶋田一郎先生の本が出ました。Img_20190630_0002

認知症の母を診ていただくうちに、今では自分もお世話になっています。

幼い頃に高知の祖母宅に預けられていて、乳幼児期の母子密着が足りなかったせいか、母とはうまく行かないままに育ってきた私です。
大学生になったのを気に家を出て以来ずっと母とはあまり連絡も取らずに、
まあ一年に一度ぐらいたまに会っても、やっぱり気が合わないなあと確認し合うような関係を続けてきました。
「あんたにだけは世話にならんわ」と言い続けていた母が、
「あんたの近くに引っ越そうかなあ」と言い出したのは4年前でした。

気楽な一人暮らしを続けていましたが、日常生活の中でいろいろとうまくいかないことが出てきていたのかもしれません。
引っ越してくる一年前ほどからは、住んでいる寝屋川から電車を2回ほど乗り換えて堺の我が家まで辿り着くのに、どうも乗り間違えるらしく、4時間ほどもかかって到着しては、
「変なところに行ってしまって、駅の人に聞いてもちゃんと教えてくれない!」と怒っていたりしました。

近くの公営住宅の1階の部屋が空くのを待って、母が引っ越してきたのは4年前の春。
友だちもいないこちらの暮らしで部屋に引きこもることになってしまってはいけないと思い、
デイサービスなどを使えるようにできないかと市役所に相談に行きました。

近くの大学病院で認知症の検査を受け、診断をもらい、
包括支援センターというところを初めて訪ねては手順を聞き、
介護認定や主治医になってもらえる先生を紹介してもらい、
引っ越し後3か月が経つ頃に、やっと暮らしが軌道に乗り始めました。

寝屋川ではたった一軒の内科医から10種類以上もの薬が出され、しかもどの薬をいつ飲むかもよく分からなくなっていて、種類ごとに分けてある薬のケースが一応あるものの、とてもちゃんと飲めているとは思えない状態でした。
本当にこんなにたくさんの薬が必要なのか疑問に思えました。

主治医になってくださった内科の先生に薬が減らせないものか相談しつつ、
膝が痛いと言われては整形外科へ、
皮膚湿疹がかゆくてたまらないと言われては皮膚科へ、
トイレにばかり立つと言われては泌尿器科へ、と通う診療所は増える一方。
行くところ行くところで毎月1回は様子を見せに来てくださいと言われ、通う病院はどんどん増えていきました。
そして、行く先々で先生の認知症に対する捉え方が違っていて迷うことばかりが増えていきました。
中には、「こんなに薬ばっかり飲んでるから認知症が進むんですよ。全部止めてしまったら良くなりますよ」とおっしゃる先生もいました。
もちろん、既往症があってこその薬なんだから、止めたらダメですとおっしゃる先生がほとんどだし、
また他の先生が判断されて出すようになった薬を自分の判断で勝手に変更することは礼儀に反する、という不文律があるようで、
なかなか先生の本音を話してくださることもないのです。

そんな中で泌尿器科に数か月通ううちに、
「これは泌尿器の問題というよりは、認知症に関係があるかもしれません。神経内科の先生を紹介しましょう」と言ってくださったのが、
嶋田一郎先生との出会いに繋がったのです。
検査検査の大学病院には行きたくないです、と言えば、「普通の診療所ですから大丈夫ですよ」とのこと。
新患は取らないという嶋田先生ですが、この泌尿器科の先生とは強く連携を取られていたので、なんとか隙間に入れてくださったのです。

初めてお会いした嶋田先生に、これまでたくさんの病院にかかってきた経緯や
先生方の言われることがそれぞれ違っていてどうしたらいいかわからなくて困っていることなどを聞いていただきました。

穏やかに耳を傾けながら私のグチャグチャな悩みを整理整頓し、
まずは認知症で服用している薬を変えてみることを提案してくださって、
すぐに主治医である内科医に連絡を取ってくださいました。

「あ~、こんな先生は初めてだ」
地域の医療機関の連携を図り、
介護や福祉のエリアもひっくるめて患者をフォローして行こうと取り組んでおられる嶋田先生の動きの早さでした。

その後も母と共に診察を重ねる中で、
主治医である先生に気遣いをしてくださりつつ、
私には自分の見解を話してくださり、
介護の大変さを労ってもくださるので、
いつのまにか私が先生に相談に乗ってもらうことが中心のようになりました。

話が戻りますが、母は嶋田先生と出会う半年ほど前には通っていた整形外科で、
膝の人工関節の手術を勧められ、専門の大きな病院を紹介されて流れに乗るままに、
まずは右膝を人工関節にする手術を受けました。
6週間に及んだ入院生活が、認知症にどういう影響を及ぼすかの説明は
それとこれとは別物と考えているかのように全くしてくれなかったのですが、
病棟の看護師さんたちには認知症ならではの母のこだわりや融通の利かなさに配慮するような訓練はされていないらしく、
「勝手なことばかりされて何かあってもこちらは責任を取りませんよ」と冷たい口調で驚くようなことまで言われていました。
同じ病室のおばあちゃんたちがとても優しく母をフォローしてくださったので、なんとか入院生活を無事に終えることができて感謝しています。

退院後は認知症に拍車がかかり、
電灯やエアコン、テレビのスイッチの区別がつかなくなり、
給湯器のスイッチの入り切りが覚えられなくって、
お風呂に入ったり、ガス調理器もうまく使えなくなりました。
電気コンロに変えると、またその使い方が覚えられずで、
食事も作らなくなってしまいました。

宅配のお弁当は美味しくないと言っては黙ってそのまま捨ててしまい、
私が作って持っていく夕食以外は、
飴玉とアイスキャンディーばかりを食べているようになりました。

週3回の大好きなデイサービスには毎日、真夏の炎天下で迎えの車を待つようになり、
通りがかりの見ず知らずの人に助けられては、
私の携帯に電話が入るようになりました。

そんなこんなで、母は一年前についにグループホームにお世話になることに・・・。
大好きだったお酒もタバコも取り上げられ、
飴玉やアイスキャンデーももう自由には食べられなくなりました。
口に入るものはすべてきっちり管理されています。
部屋で勝手に食べることもできません。

グループホームには在宅医療の診療所が入っていて
なんと月2回の診察があり、
しかも家族の付き添いは必要なしと言われ、
月ごとの報告が文書ではあるものの、
そこには温かさも何も感じられません。

母と私はグループホームでの医療ケアとは別に、
今も6週間に一度嶋田先生を訪ねて温かい力をいただいています。

この本は、医者を職業とする後輩たちへのメッセージとして、
地域医療を目指すためのノウハウを解き明かし、
これからの高齢化社会に向けての在宅医療の重要性、大切さを示すものではありますが、
同時に嶋田一郎という人の生き方、
医師と言う職業の醍醐味を伝える痛快な一冊でもあります。

ラストには
「アイデアをチーム一丸となって考え、実践するのは楽しいものです。
自分のためではなく、誰かを幸せにするために、気心の知れた仲間たちと頑張ることはワクワクする体験です。」
という言葉があります。
これこそが嶋田先生の医療に対するスタンスなのでしょう。
とても嬉しくなりました。

患者として読んでも、そこに学ぶことはたくさんあります。
泉北タウンに嶋田一郎先生あり!

幻冬舎から定価800円で発売されています。
この辺りでは書店にも平積みされていますし、
amazonでも購入できます。
ぜひ読んでみてください。

« 堺勤美展.2019~Part2 | トップページ | セブでジンベエザメと遊んできます。 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 堺勤美展.2019~Part2 | トップページ | セブでジンベエザメと遊んできます。 »

2018年6月以前の記事

メール送信

無料ブログはココログ