「しっとおる その後 Part3」
思うに、大学のたった4年間共にした仲間が
40年後に文集を作るなんて、他のどこにあるでしょう
大げさかもしれないけれど
60年の人生を文字に残すことができる
それを仲間で共有、共感できる
こんな素敵なことはないと思います
この文集を編集しているさ中に、
同期のKさんが私にくれたメールの一文をそのまま中表紙の言葉にしました。
大学時代は勉強らしきことは全くしないで、
サークル活動ばかりしていました。
卒業してからかれこれ40年。
そんな仲間が還暦を超えたメンバーで文集作りをすることになりました。
正式名は「児童文化研究会」。
通称「ジャリ研」。
人形劇、影絵、児童劇、紙芝居の4つのPartに分かれて、
オリジナル作品を作り、幼稚園や保育園に公演活動に行ってました。
私たちは発足後の6期生でした。18人の同期がいました。
人形も影絵も紙芝居も衣装も全て手作りで、発声練習をしたり、活動は結構真剣で本格的でした。
学校の授業には出なくても、サークルの活動日の夕方には教室に集まるという私たちでした。
さて、コロナ禍真っ只中の5月、自粛生活が続く中で押入れをゴソゴソと片付けていると、
21年前に作った文集と、
更にその8年前に作った文集が発見されました。
「しっとおる その後 Part2」と「しっとおる その後 Part1」です。
思えば、学生時代には毎年この「しっとおる」をたまり場になっていた先輩の下宿に集まって、
ガリ版刷りで作っていたのでした。
発見された懐かしい文集をペラペラとめくっているうちに、
還暦になった今、もう一度、こういうのを作ってみるのはどうだろう?
と思いついてしまいました。
まずは、同期のグループラインに相談。
「ボケる前の最後のチャンスかも?!」と面白がってくれたので、
仲良しの後輩と、頼りになる先輩にも提案してみました。
同時に、仕事でよく使っていた近くの印刷業者に見積もりをお願いしました。
50人参加で100ページ前後、60冊の印刷という見積もりで参加費を設定しました。
50人参加してもらうために、還暦を超えた1期~8期の74人に案内を送りました。
冊子の1~2ページ分を1人分にレイアウトするために、
文字数を800字~1400字程度に決め、
必ず手書きのプロフィール欄と最近の写真を同封してもらうことにしました。
手書きのプロフィール欄は、昔のガリ版刷りの手書き原稿の文字を思い出してみるためです。
「文字」というのは写真と同じくらいにその人そのものだと思えます。
字を見るだけで、その人の人となりが蘇ってくる。
5月の半ばに案内を送り、原稿締め切りは7月末。
7月末時点で44人の原稿が届きました。
50人集まらないと赤字になってしまいます。
未だ届かない人に再度のお誘いをして、更に待つこと1ヵ月。
8月末にやっとぎりぎり50人目の原稿が届きました。
ゲラ刷りにGoサインを出した9月に入ってから2人の参加連絡があり、
52人の原稿が揃いました。
皆から懐かしい学生時代の写真もいっぱい届きました。
プリント写真なので、今のように撮った日付や場所が分かるわけでもなく、
LINEをフル活用して、いつ・どこで撮った写真か、みんなに調べてもらいました。
9月は校正を重ね、誤字や改行の位置、写真の配置、キャプションなど細かくチェックしました。
そして、10月10日の今日を発行日にして、文集を発行することができました。
作り始めたのが5月10日頃。
7期の取りまとめ役をかって出てくれて一緒に始めた後輩のJさんが、
昨年から闘ってきた病に力尽きて、この世を去ったのが6月10日でした。
彼女の祥月命日を発行日にしたかったのです。
「秋にはみんなに届けよう」
その約束を果たせたのが何より嬉しい私です。
裏表紙に使ったのは43年前の合宿打ち上げの写真です。
1977年。
あの瞬間の
あの笑顔が
今の私たちに繋がっています。
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- 「しっとおる その後 Part3」(2020.10.10)
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