「認知症になった私が伝えたいこと」佐藤雅彦
認知症になったご本人が書かれた本です。
あ~、認知症になるってこういうことなのか・・・
今やったことの記憶がどんどん抜け落ちて、
やらなければいけないことの順番がわからなくなり、
道に迷い、
整理整頓ができなくなり、
日々の暮らしがどんどん壊れていく。
その地獄のような恐怖感をご自身で書き綴り、
でも、その闇の中からパソコンや携帯に記録すること、
手順をあらかじめ書き、それに従って行動すること、
人の手やITを利用しながら、
なんとか自立して生きていくことを模索していく。
45歳から仕事の中で様々なことが困難になり、
あちこちの病院を訪ね、
なかなか原因が分からないでいる中、
51歳でアルツハイマー病の診断を受けます。
この本を読んで、母の混迷していた数年間の苦しさがよく分かりました。
病気がいろいろなことをできなくさせる。
自分自身でそれに気づいていく恐ろしさ。
寝屋川に住んでいた母は、堺の私のそばに引っ越してくる前の2年間ほど、
堺の我が家に辿り着くのにものすごく時間がかかるようになっていました。
寝屋川からは京阪電車、JR、南海電車と乗り換えて2時間近くはかかるのですが、
最後の方は3時間半ほどかかるようになっていました。
電車の行き先を間違えて、高野山の方に行きかけたりもしていたようです。
駅員さんに聞いてもちゃんと教えてくれないといつも怒っていました。
教わっても教わってもすぐに記憶から抜け落ちてしまっていたのでしょう。
いよいよ寝屋川での一人暮らしが無理だと感じ始めたのか、
堺の我が家のすぐ近くに引っ越してきました。
我が家のすぐ近くのURで一人暮らしを続けられたのは2年ほどでした。
すぐ近くにあるスーパーに一日に何度も行っては、
行くたびにアイスクリームや醤油やヨーグルトなど同じものを大量に買ってくるようになりました。
キャッシュカードの暗証番号が何度も分からなくなり、押し間違えては何度も作り直しました。
ついにはメモに書いて財布の中に入れるようにしていました。
買い物をしても自分で支払いができなくなり、スーパーのレジの人に財布ごと渡してお金を取ってもらっていたようです。
スーパーの店長さんから私の携帯に電話がかかってくることもありました。
財布のお金が足りないのに、どうして買えないのか母が怒り出して困っているということでした。
エアコンの温度設定を逆にしてしまい、夏は33℃に、冬は16℃にしてしまう。
お風呂のお湯はりのボイラースイッチが分からなくなる。
テレビと電灯とエアコンのリモコンがどれがどれか分からなくなる。
今日が何日か分からなくなるので、新聞をテーブルに広げて、一日に何度も日を確認していました。
グループホームに入る直前には猛暑の夏でしたが、
週に3回、午後から行ってたデイサービスのお迎えを
毎日朝から外で待つようになり、倒れそうになっているところを通りがかりの人に助けられたりしていました。
母に私の電話番号を持たせていたので、よく知らない人から「お母さんが〇〇になっていて、ここに娘さんの番号があったのでかけさせてもらいました」と留守録が入っていました。
職場で昼休みに留守電を聞いて、飛んで帰ることも度々ありました。
調理は当然できなくなっていたので、昼食は宅配のお弁当を頼み、
夕食は私が作って持って行くようにしていました。
今、思うと本当に命が危ぶまれるようなことが度々ありました。
ホームに入ることを決めた時には、一人暮らしはもう限界だったのです。
ホームに入れてもらって、取り敢えず命の危険の心配はしなくていい。
三食のご飯をちゃんと食べさせてもらえる。
このことにどんなにホッとしたことでしょう。
佐藤さんのこの本を読んで、
母がどんなに限界点ギリギリの日々を送っていたか・・・改めて蘇りました。
それでも、この佐藤さんは自分自身で出来得るあらゆる努力をし、
訪問サービスや借りることができる人の助けをもらいながら、一人暮らしを続けておられます。
そして、認知症の当事者自らが、当人にとって必要な援助とは何かを社会に発信していっておられます。
認知症になったら社会はすぐに施設へと閉じ込めようとするけれど、
そこには自由がありません。
確かにその通りです。
安全ではあるし、食べることにも困らないけど、
自分で自由に出歩くことも、
自分でできることを自分でやっていく自由もありません。
もっと言えば、食べたいときに好きなおやつを食べることもできません。
部屋に飴玉を置いておくことさえできません。
自分勝手に食べて、喉に詰まらせたら大変だからです。
タバコもお酒も大好きだった母ですが、それらはすべて母の暮らしからはなくなりました。
”健康的な生活”で体重はこの3年間で20kgも減って、標準体重になりました。
認知症であること以外はとても健康体です。
そして、コロナ禍になってからもう1年8カ月、通院以外は外に出ることさえできないでいます。
牢獄に閉じ込められているのと同じです。
すべて命の安全のためなのです。
グループホームに入って3年。
今では母はもう娘である私の名前がかろうじて思い出せるぐらいです。
規則正しい生活で食事をちゃんと食べさせてもらいお風呂にも入れてもらえますが、
ただ命を繋いでいるだけでは、とても幸せだとは言えないように思えます。
母に会うと、自分の親不孝を突き付けられているように感じて苦しくなる。
でも、当然です。
私はもっともっとこの母の現実を前にして苦しまなければなりません。
佐藤さんの本は、どんな風であろうと人生を自由の中で全うすることの大切さを教えてもらえます。
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