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書籍・雑誌

2023年12月 1日 (金)

「世界は五反田から始まった」星野博美

Img_20231203_0001 本好きの友人から勧められて読みました。
戦火の中で一家族がどう生き抜いたかが描かれた本当の話。
東京の戸越銀座の町工場に生まれた博美さんが、
祖父の書いた家族の記録を元に、地元のことや歴史を詳細に調べながら書き上げたノンフィクションです。

ネジを作る町工場を営んでいた祖父が戦火で焼け野原になった五反田でどう生き抜いたか・・・。
昭和20年5月24日城南大空襲で家も工場も焼かれて失い、
それでもその焼け野原に翌日には自宅の土地を守るための杭を打ち、
工場を再建した博美さんの祖父。
昭和2年に創業し、父に受け継がれ、その父親が88歳の時に、一番の得意先が95歳で閉業するまで93年間続いた星野製作所
星野製作所のネジは、戦争中には戦闘機の部品として軍需産業に組み込まれ、戦後は消火用スプリンクラーや宇宙開発にも使われたそうだ。

戦火の中を生き抜くためにも、
コロナ禍というパンデミックを生き抜くためにも、
同じように知恵がいる。
非常時に強制的に従わされる国策にも惑わされず、
その規制の中で私たちはどう生きればいいのでしょう。
非常事態に陥った時こそ”自分の判断”が必要だ。
そんなことを星野家から学ぶことができる。
これはコロナ禍においての我が家のやり方にも繋がる話だと感じました。
例えば予防接種ひとつをとっても、我が家では3人の子どもたちが揃って誰も予防接種を受けなかった。別に相談したわけでもない。
揃いに揃ってそれぞれが「あんな急ごしらえの訳の分からんモノを体に入れられるなんて御免こうむりたい」ということだった。
私は子どもたちにそんなヘンコな教育をした覚えはない・・・。
なぜって、私たちは夫婦共に3回まで予防接種をちゃんと受けたから!
最初の頃は、予防接種を3回受けた人しか国外に出られない、とか決められていた。
海外旅行はできるだけ早く再開したかった私と夫であった💡
だって歳も歳だし、のんびり待ってはいられないのだ!。
あんなに海外暮らしが好きだった末娘は、そのうちきっと誰でも行けるようになるから、それまで待つ、ときっぱり言ってついに受けなかった。
でも、本当にそうなりましたね。
今では予防接種などしてない人でも誰でも海外へ行けるようになってます。
あの騒ぎはいったい何だったのでしょう💦

話は戻ります。
本には東京大空襲の時、一市民が「自身がどういう状況に陥ったか」を綴った文章もたくさん載せられています。
書くことを職業にしている「売るための文章を書く作家」ではなく、
ただ家族のありのままを残すための一市民が書いた記録には本当の姿、状態が正直に散りばめられている。
だから面白いという博美さんの考えはもっとも!

「環境が激変したらしたで、頭を切り替え、そこでできることを考える」
博美さんの祖父が、そうやって戦火の中を生き抜いたように、
ウイルスのパンデミックを生き抜くヒントもそこにある。
コロナ禍の最中に書き進められたこの本の視点は本当に面白い。

祖父の書き残した戦前から戦中の家族の歴史を、そこから詳細に調べあげ、
五反田で生き抜いた星野家の歴史をノンフィクションとして書き上げた星野博美さん。

読みながら、私も三姉妹だった母の姉から、母方の家系図をきちんと作って残しておきたいと昔相談されていたことを思い出しました。
母の実家の下元家は江戸時代に遡って15代ほども続いた家系でした。
今も高知の桂浜近くに15代分の墓石が並んでいます。
従兄(母の2番目の姉の子ども)が毎年毎年のお墓の掃除が大変すぎるということで、最近どうやらお墓を一つにまとめたようです。
曾祖父は海軍で潜水艦に乗っていて亡くなったので、てっぺんが三角の大きなお墓(お国に命を捧げた印)があります。
その前の代々も海に生き、坂本龍馬さん辺りと同じ志で動いていたようなこともあったようです。高知ですからね。
下元の字も元は「下許」という字だった。それが下元に変わった理由は何なのか?・・・というような話をきちんとまとめておきたいと言いながら、
ついに果たせず、叔母は2003年に72歳で亡くなりました。
もっとちゃんと話を聞いておいてあげるべきだったなあと今更ながらに感じています。
20年前なら私もまだ若かったのになあ。
でも、調べてちゃんとまとめるほどにも興味を持てなかった・・・というのもあります💦
下元家は三姉妹に名前を継ぐ男子が生まれず、2番目の姉が嫁いで名前は変わったけど、
子ども2人が男の子だったので、その一人が下元の名前に改名して後を継いではくれました。
けど、結婚しても子どもができなかったので、結局、下元の名前はここで終わりとなってしまうことに。
まあ今や時代は家系を途切れさせないで続けて行く、というようなことでもなくなってきているので、これでいいのかもしれません。
ご先祖様、ごめんなさい。

話、逸れましたが、星野博美さんのエッセイも大好きな私です。
ぜひご一読を!

 

2023年11月30日 (木)

「汝、星のごとく」凪良ゆう

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今、一番売れっ子作家さんの作品。
2020年2023年本屋大賞を獲得。
映画化された「流浪の月」は、衝撃的な物語でした。
私には刺激が強すぎて、怖くてもう一度は観れない映画です💦

この「汝、星のごとく」は2023年の本屋大賞作。
抗えない苦しい環境の中で生き抜く若者の姿を描いている。
こんな物語が綴れる人がいるなんてすごいですね~。
ネット検索すると、もう50歳になられているようですが、現代の若者感覚を掴んでおられるように感じます。
344ページ。
読みだしたら止まらなくて、あっという間に最後まで辿り着いてしまいました。
いろんな生き方がある。
人はそれぞれみんな違っている。
心の苦しさを自分の中で受け入れて消化して、自分なりに歩んでいく人生。
心の在り様と強さと弱さを丁寧に丁寧に紡いでおられるので、たくさんの人が心惹かれるのには納得できます。
でも、強烈過ぎるので人には勧めにくいなあというのが、私的な感想でもあります。

他のも読んでみようと図書館で予約したら、50人待ち~80人待ちになっています👀
気長に待ってみようと思います。

 

2023年11月21日 (火)

「蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ」河井寛次郎

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河井寛次郎さん。
1890年(明治23年)に島根県安来で生まれ、21歳でバーナード・リーチに影響を受け、陶芸や木彫など数々の作品を作り上げた民藝活動の父。
1966年(昭和41年)に76歳で亡くなられています。
先日、京都に行った時に、この河井寛次郎さんの工房兼ご自宅を観に行きました。
京阪七条駅から歩いて15分ほどのところにあります。
斬新でモダンな陶器やユニークな木彫、工房、ご自宅のユニークな造りにも惹かれました。
あちこちに河井さんの書かれた言葉が展示されていて、それも素敵に面白かったので、本を読んでみようと図書館で予約しました。工房では1700円で販売されていた文庫本です。

芸術家というのは、こういうことなのだなあと唸らされるような内容でした。
陶芸家だけど、陶芸だけではない。
木彫も、言葉も、住まいも、表現すること、創ることこと、すべてが芸術に繋がっています。

原田マハさんの著作「リーチ先生」に、バーナード・リーチと一緒に民藝活動を展開したこの河井寛次郎さんや濱田庄司さん、柳宗悦さんが登場します。
芸術家として高価な唯一無二の作品を作ることではなく、名もなき職人が作り出す日常生活の中で庶民が使う陶器や、それを工業と共同しながら大量生産して庶民の生活に広めることに価値があるとする姿勢は、この時代だからこそ素晴らしいと思えます。

「何という今だ
今こそ永遠
全自分を賭けている時―—この時より他に生きている時があるであろうか。
生きているのに、生きたり死んだり、死んだり生きたり。」

いのちは歩く 自分をさがしに歩く

からだが標準 からだがはかる

こんなにものが美しく見える人間の美しさ

生命は美しいものを見に来たのだ みにくいもののためではない

貴重な生命ー自分と戦っている生命

生命の正体ー歓喜

どこからさかして来たかこの形
どこからさがして来たかこの色
花よこの花

邪魔草引きぬかんとふと見れば花みつけたり 引くにひかれず

・・・・・・・・・

最近、明治、大正、昭和初期に生きた人の本を読む機会が度々あります。
時代が変わっても、人の想いは変わらないものなのだなあと、つくづく感じます。
平易で読みやすい本が簡単に刊行される今ではありますが、ひと昔前に生きた人たちの深く細やかな文章は素晴らしい。
この本も2006年に、河井寛次郎さんの著述をまとめて復刻版として講談社から刊行されたもののようです。
河井寛次郎さんの感性の深さ、とても面白く読みました。

2023年9月 7日 (木)

「君たちはどう生きるか」

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宮崎駿さんの映画「君たちはどう生きるか」を、孫と観に行きました。
私は2回目の鑑賞。
同じ映画を再鑑賞するなんて滅多にないことですが、
もう一度観たいな~と思っていました。

まだ7歳の孫には難しいかもしれなかったけど、
映画全体を流れる空気はカラフルで愉しいジブリワールドそのものなので、
小さい子が観ても楽しいに違いない作品です。
何より主人公の眞人くんが、やってくる魔物に自分で武器を作り出しながら立ち向かって行くストーリーを孫に感じて欲しかった。
まだ僅か7歳なのに、人生は愉しいことばかりじゃないと感じ始めている孫です。
やりたいことを自分たちで考えながら、森や山、川を駆けまわるばかりだった「森のようちえん」を卒業して、この4月から小学校に通い始めました。
少人数クラスで山間に建つ里山の小学校を選択して入学しましたが、
そのカリキュラムはやはり昔ながらの日本の小学校形式。
毎日、机に縛り付けられ、新しいことをどんどん覚えなければいけない一方通行の教育です。
テストテストで理解度を確認させられる。
あれをしなさい、これをしなさいと指示されるばかりの日々。
文部省推奨の幼稚園教育を受けていない孫には初めてのことが多すぎるようです。
しかも周りの同級生は、幼稚園で既にやってきて知っていることも多いらしく、
孫にいろいろと手取り足取り教えてくれるらしい。
一学期はこの日々を体が拒否してよく熱を出しました。
学校では先生の話をしっかり聞いて、新しいことをどんどんマスター。
4月以降、びっくりするようなペースで、できることがいっぱい増えて行っている孫ですが、
もういっぱいいっぱいに頑張りすぎていることも感じられます。

そんな孫の姿が、この映画の眞人くんと重なりました。
まだ小さい孫ですが、この眞人くんのように乗り越えて行って欲しいなあと感じて、ぜひ一緒に観たかったのです。
何かを感じてくれたらいいな~。

2回目に観て、改めて見えたこともありました。
この「君たちはどう生きるか」は、宮崎駿さんが若い頃に読んでとても感銘を受けた本だそうです。
本の内容と映画の内容は、全くイコールではありません。
でも、本も映画もテーマはこの「君たちはどう生きるか」なのです。

1回目を見た帰りに本屋さんに行ってこの本を買って、夏の旅行の鞄に入れていきました。
旅の中で、長距離電車の中で、宿でゆっくりした時に、開いては読み終えました。
今回、2回目の鑑賞で、特に大発見したように感じた場面があります。
眞人くんが疎開先の母の実家で偶然、一冊の本を見つけます。
亡くなったお母さんが「大きくなった眞人へ」と書き置いてあったのがこの本でした。
眞人くんが涙を流しながら本を読み終える場面が印象に残りました。

この本の素晴らしさが分かるほどの年齢になった時には、
ぜひ読んで欲しいという宮崎監督の願いが込められています。
これは、宮崎駿監督が、これからの子どもたちに贈るメッセージそのものなのだと感じました。
この場面をしっかり認識できたことが2回目に鑑賞した一番嬉しかったことでした。

「君自身が心から感じたことや、
しみじみと心を動かされたことを、
くれぐれも大切にしなくてはいけない」。

これからの世界を生きて行く若い人たち。
地球の未来は子どもたちに託されています。

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2023年7月14日 (金)

「島へ免許を取りに行く」星野博美

Img_20230629_0001  最近ハマっているのが星野博美さんのエッセイ。
勧められた本の予約の順番はまだ回ってこないんだけど、すぐに借りられる本から読んでみようと思ったらとても面白かった。
エッセイ好きな私です。
「戸越銀座でつかまえて」は、「ライ麦畑でつかまえて」をモジったようなタイトル。
結婚せず、一人暮らしを続けてきて40代に突入してしまった星野さんが、戸越銀座の実家に戻ることを決め、両親と暮らし始めた時期を綴っている。
人付き合いが苦手で、友達も少なく、出歩くのも苦手という星野さんが、ご近所さんや商店街の人たちと上手く付き合いながら生きている両親に何かと学びながら送っていく日々。
自己描写も周りの人たちへの愛を感じられるのもいい。

こちら「島に免許を取りに行く」 は人間関係につまづいて、環境を大きく変える必要に迫られ、なんと五島列島の福江島に合宿自動車免許取得に出掛けて行くお話。
2週間で取れるはずの免許証受験資格を、第一段階で大きくつまづき、なんと1ヵ月かかってやっと取得する。
でも、その日々はとても素敵で暖かい。
五島列島の人々の暮らしぶりや、車より馬に乗るのを楽しみにしていた合宿中のこと、教習場で出会った生徒仲間や指導教員のことを暖かく描いている。
人間関係につまづいて・・・と言う星野さんだけど、本当にとても細やかで丁寧な人柄が伝わってくる。
やっと免許が取れてからの、東京でのお父さんとの運転練習の日々こともとても愉快。

学生時代にバイクも車も大学の近くの教習所で取って以来、運転歴は45年になる私です。
運転は大好き。助手席に乗ってるより運転してる方が好き。
子どもたちが小さい頃は、ワゴン車で日本中を走り回っていました。
最近は、航空運賃が安くなったので、旅先でレンタカーを借りて巡る。
海外でも、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、タイをレンタカーで巡った。
まあ、それぐらい車は自分の手足になっているということ💡

でも、思い出しましたよ。
昔の教習所でのあの空気感。
先生にブレーキを踏まれながら初めてハンドルを握った時のこと。
まだマニュアル車しかなかったあの頃の坂道発進やS字クランク。
バックでの車庫入れや縦列駐車のあの感覚。
なんだかとても懐かしくもあった一冊でした。
またしばらくは星野博美さんを読み続けるつもりです✨
ちょっと自分に似ている感じがするのもいい✨

2023年6月30日 (金)

「リーチ先生」原田マハ

Img_20230625_0001 陶芸家バーナード・リーチの生涯を陶工親子の目線で描いた小説。
キュレーターの原田マハさんならではのアート小説。
たくさんの資料から読み解いて書きあげたノンフィクションでありながら、
その中にリーチを先生と慕う陶工をフィクションで登場させ、
その目線でリーチという陶芸家の人物像を浮かび上がらせている。
こういう描き方があるということが面白い。

私自身、陶芸サークルに入って、かれこれ20年にもなるのだけれど、
この本を読んで、「あ~、陶芸ってそもそもこういう面白さがあるものなのだなあ」
ということが改めてわかった。
先生に付いたことがない見よう見真似の土いじりでしかない私の作り方とは、
全然違っている陶芸の本質がよくわかった気がする。
陶器、陶磁器、磁器の違い、イギリスならではのスリップウェアの手法のこと・・・
そんな普通のことも自分は意識して来なかったことにも気付いた。

新しい土地で陶房を立ち上げようとする時、まずはその場所で、陶芸に適した土を見つけ出すことから始めなければならないということ。
釉薬とはどういうものであるのか・・・。
木をくべて三日三晩寝ずの番をして作品を焼き上げることの大変さ。
作品のほとんどすべてがダメだとしても、その中にたった一つ素晴らしい作品ができてくる奇跡。

リーチが出会った柳宗悦濱田庄司高村光太郎河井寛次郎ら今も名を馳せる著名な人たち。
戦前から戦後へ、陶芸を通じて東洋と西洋の架け橋となろうとした人たちの話は本当に面白かった。
この本の面白さは、バーナード・リーチという人を普通の等身大の人として描いていること。
そして、陶芸を志す人は陶芸だけをしているわけではないこと。
リーチはエッチングも極めた人であったし、この本に出てくる陶芸家たちはデッサンや絵を常に描いているようだった。
絵だけではない。
陶芸だけではない。
表現することとは、そういうものなのだということに気付かせてもらえたのも面白かった。
この本は新田次郎文学賞を受賞しています。
原田マハさんの小説は面白い💡

2023年6月 1日 (木)

「三千円の使いかた」原田ひ香

Img_20230527_0001 図書館で1年以上前に予約して300番目ぐらいだった本がやっと回ってきました。
もうすでにテレビドラマ化もされましたね。

御厨美帆さんと家族、彼女を取り巻く人たちを庶民にちょうどいい金銭感覚の三千円をテーマに物語っています。
お金の感覚って、やっぱり人それぞれなんだなあ。

家のローン、車のローン、老後の資金、学生時代の奨学金という大きなものから、
パートの時給賃金、子どものお小遣いまで、
ちょっとしたことも、ちょっとずつ金銭感覚って違ってる。
そういうことに気付かせてくれる面白い一冊でした。

学生時代の奨学金というのも、卒業した途端に抱える借金というふうに捉えているにには、
あ~、そうなんか~💡と思いました。
我が家も大学や専門学校を卒業した子どもたちは奨学金を借りていて、それぞれ働きだしても月々15000円ずつほど自分で返還してくれていました。
でも、薄給の新社会人にはたかが15000円と言えども大きな金額だったのではないかと今になって思います。
娘は結婚する時に、息子は車を買うという時に、残っていた分を親の責任で全額返還しました。
思うのは、やっぱり大学や専門学校の学費の高すぎることです。
だいたい小中高の教育費と比べると、大学や専門学校ってこんなに高額の学費を取らなければできないものなんでしょうか?立派な校舎を建てたり設備費に莫大な金額が回されてしまっているような気がします。自分が受けた大学授業を思い出したところで、小中高の方がずっと中身があったようにも思えます。
私なんぞまるっきり遊びに行っていたようなものなので、4年間遊ぶために親が大金を費やしたかと思うと申し訳ないことでした。
社会に余裕を持って踏み出すために必要だった休暇期間というところでしょうか?
そう思えば自分で出すべきお金ですね。私も奨学金を借りて、10年ほどかけて自分で返還しました。

子ども支援に多額の予算が組まれる昨今ですが、予算ばかりじゃなくて内容、質の見直しをぜひにして欲しいものです。

話がズズ~ッとそれてしまいました💦
気軽に読める一冊。
お勧めです。

2023年5月21日 (日)

「銀河鉄道の父」門井慶喜

Img_20230520_0001 「銀河鉄道の夜」を書いた宮沢賢治の父・宮沢政次郎のお話。
映画を観て、この原作本を図書館で借りました。
様々な分野に秀でたちょっと変わり者の童話作家。
そんな印象を持っていた宮沢賢治さんでしたが、
父親の視点から見るとあっちにフラフラこっちにフラフラしながら、
家族にいっぱい心配をかけながら、やっと生き進んでいた人であったことがわかります。

この本で門井慶喜さんは直木賞を受賞されています。
濃密な家族の物語です。
1章の目次のタイトルにもなっている「父でありすぎる」政次郎さん。
父親というより母性的な愛で長男の賢治を見守り続けます。
病気で入院した時には母や看護婦よりも自分が付きっきりで看病する。
そんな父に生涯、支えられながら生きる賢治。

家族の距離感が細やかに丁寧に描かれている。
父と子。厳しく育てねばと思いつつも、突き放すことができず、
口も出し、金も出しで、ついつい甘やかしてしまう父・政次郎。
妹のトシの存在を心の拠り所にして生きる賢治。
トシが病に倒れてからは、賢治が付きっきりで看病する。
賢治が童話を書き始めたのは、トシにせがまれてのことだった。
トシを失くして悲しみの底に打ち沈んでしまうが、
童話や詩を描き続けた原動力はトシの存在あってこそのものだった。
賢治自身も終末期には弟の清六に書いたものすべてを託す。
あれだけ愛を注がれた父にではなくて、弟に託すのだ。
この兄妹弟との関係。これがとてもいい。いかにも家族らしくて、よく理解できる。

「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ・・・」の詩は、もう死が迫った賢治が病床で遺言のように書いた詩でした。
手が思うように動かなくなり、ひらがなが欠けなくなり、書きやすいカタカナで小さな手帳にやっと綴った詩。
38歳という若さなのに、もう悟りを開いたかのような言葉は、生き辛かった賢治が死の間際に綴った一遍。
この詩が他のどの作品より一番誰もに知られる作品になったのですね。

花巻の宮沢賢治記念館に2度も行ったことは、先日も書きましたが、
ふと本棚を見れば、宮沢賢治の童話や本が何冊も見つかる我が家です。
擬音や抽象的な心象風景が書かれている宮沢賢治のお話は、
分かりにくいけど、なんだか心に強く問いかけてくるものがあります。
ザワザワするけどなんだか惹かれる世界です。


2023年5月16日 (火)

「本日は、お日柄もよく」原田マハ

Img_20230511_0001 「困難に向かい合ったとき、もうだめだ、と思ったとき、想像してみるといい。
三時間後の君、涙が止まっている。
二十四時間後の君、涙は乾いている。
二日後の君、顔を上げている。
三日後の君、歩き出している」

スピーチライターという職業があるんですね~💡
政権を動かす選挙演説や結婚式のお祝いのスピーチ、そんなものの原稿を書く仕事があることを初めて知りました。スピーチにおいて、聞く人の心を惹きつけることのいかに大事なことか?! 
へえ~👀

人生と絡み合わせて、いろんな世界を物語にする原田マハさんの本には、いつも心動かされる。
取材も下調べもものすごくされるのでしょうね。

面白かった✨


 

2023年5月 2日 (火)

「収容所から来た遺書」辺見じゅん

Img_20230502_0001 昨年12月に映画「ラーゲリより愛をこめて」を観てすぐに図書館に予約した原作本の順番がやっと回ってきました。
これがノンフィクションであることに驚かされます。
辺見じゅんさん。
本を読み終えて、今、プロフィールを検索して、この方が女性だということにまたまた驚きました。
昭和14年生まれ。生きておられたら84歳。
先日、発刊した「戦火のなかを生き抜いて」を作った先生方よりお若い。
2011年に72歳で亡くなられています。

この「収容所から来た遺書」の他に、
「昭和の遺書~南の戦場から」
「戦場から届いた遺書」
「男たちの大和」など、戦争の時代を生きた人物をモチーフにした作品をいくつも書かれています。
「男たちの大和」も映画化されています。

二宮和也くんが演じた山本幡男という人がどれほど人間味あふれる魅力的な人物であったのか・・・
病に倒れ、ついにダモイ(帰国)を果たし得なかった彼の4通の遺書は、なんと彼を心から慕う仲間たちの記憶に刻み付けられ、日本に届けられたのだ。
「本文」、「お母さま!」、「妻よ!」、「子供等へ」。
ノートも手紙も、書の全てが没収されてしまうソ連の監視下で、遺書を持ち帰ることは不可能だった。
でも、記憶の中に留めておけば、その人が生きて帰れさえすれば、その遺書は山本幡男の家族に届けることができる。
仲間たちはそう考えて、何人もの有志が、彼の遺書を記憶したのだ。
句会を開くことで、仲間を勇気づけ続けたその山本の句や詩も何人もの仲間が記憶に留めた。
そして、帰国後に、山本幡男の家をそれぞれが訪ねて、その遺書や句を届けた。

全ての日本人がソ連から帰還できたのは、なんと戦争が終わって11年が過ぎた昭和31年。
60万人もの日本人が極寒のシベリアの1200ヵ所もの収容所で強制労働させられ、そのうち7万人もが亡くなったと言われているそうだ。

希望と愛情に満ちた4通の遺書。
中でも4人の子どもたちに綴られた遺書には、
日本の国がこれからどう進むべきなのか、
若者たちは何を目指していくべきなのかという指針が示されている。
日本の全ての子どもたちの机の前に書いて貼っておきたい!

この本を、「ラーゲリより愛を込めて」という映画に仕上げた瀬々敬久監督も素晴らしい。
長い物語をうまくまとめて分かりやすく映画にしていた。
この原作を2時間ほどの作品としてまとめるのはさぞ難しかっただろうな?

本は単行本が出たのが1989年。私が借りた本は2011年の第14刷。
あとがきには長男の東京大学を始め、4人のお子さんたちがそれぞれにトップクラスの大学を卒業し、社会で活躍していることも添えられていた。

戦後78年。
これはぜひ読んで欲しい一冊です。
折角、半年近くも待って図書館で借りて読んだのに、誰かに読んで欲しくてメルカリで購入してしまった私💦💡
お貸ししますよ~❗





 

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